2018年 09月 28日
中山道14回目③岩村田から塩名田 |
9月19日
岩村田の駅に着いたのは10時30分。駅から昨夕切り上げた岩村田宿本町通りへと向かう。中山道は商店街の先にある相生町信号でほぼ直角に右折する。往時はここ、「下仁田街道分去れ」に常夜灯があったらしいが、今はこの標識が立っている。
中山道は→方向に進む。10:55
ここから今日の目的地、塩名田までは約5.6Km。
道路すぐ右に、福のえびすを祀っているという「西宮神社」 左手には小さな道祖神が並んでいる。
曲口(しゃぐち)神社の碑。
街道に背を向けて立っていた。ここから塩の道があったらしいが、詳細不明。そもそも塩の道は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道のことで、各地にあったらしいので、商業で成り立っていた岩村田にあっても不思議はない。
中山道は小海線中山道踏切を渡って先へ。 左手に境内にたくさんの石塔が並んだ御嶽神社 道がゆるやかにカーブし、突き当たりの高みに相生松・・・現在あるのは三代目の松
ここで皇女和の宮が野立てをおこなったとある。
傍らに在原業平の歌碑「其むかし業平あそむの尋ねけんおとこ女の松のちとせを」と
→塩名田4.3Kmという道標。
付きあたりを右へ進む。国道141と浅間病院西で交差して、田園の広がる道を行く。佐久の市街の向こうに浅間山が雄大な姿を見せる。
濁川・・・流れは酸化鉄で濁った浅間山の湧き水。
このあたりに平塚の一里塚があったらしいが位置は不明。
荘山(かがりやま)稲荷 ここで中国横断自動車道のガードをくぐる。
黄金色に実った稲が美しい田園地帯を行く。家の前の田で除草作業をしていた婦人としばらく立ち話。
「もう少し先、左手に八ヶ岳の蓼科山が見えますよ」と教えてくださる。
百万遍供養塔 道より少し高い段上に、風化し苔むした多くの石仏石塔が集められたらしく並んでいる。家型や人型の石像はまるで埴輪の形だ。 根々井塚原あたり。よく手入れされた庭、立派な門構えの家が目立つ。
広大な田園地帯、野辺には浅間山噴火の溶岩の上に建てられた大きな三基の石塔も見られる。
右手には浅間山、左手には八ヶ岳連峰(蓼科山は右端)を眺めながらの快適な歩き。
下塚原の先に見えてきたのは駒形神社
石碑の奥の石段をのぼり鳥居をくぐる。左奥にあった本殿は1486年再建の国重要文化財。祭神は騎乗の男女二神とのこと。鳥居にはなぜか魚、馬、熊が描かれていた。
駒形坂を下っていくとやがて、塩名田宿の江戸(東)口に至る。12:40 塩名田宿は東から、下宿、上宿、川原宿で成り立っている。千曲川往還を確保、支障なく行うために1602年に新設された宿。1843年(天保7)の時点で家数116、本陣2、脇本陣1、旅篭7件で人口は574。本陣、脇本陣ともに宿の真ん中にあり、丸山氏の同族が勤めていたという。小宿にもかかわらず本陣が2軒もあるのは千曲川のかわどめにそなえてのこと。
現在、宿の様子は新旧入り混じっているが昔を彷彿とさせる屋号看板が往時をしのばせる。
丸山善兵衛本陣跡・・・現在は食料品店「大井屋」看板の下に丸山善兵衛とある。
丸山新兵衛本陣跡・・・問屋を兼ねていた。建物は1756年の再建で御殿部分が今なお使われている。その隣に高札場跡がある。
本陣向かいには
佐藤家住宅・・・1831年の建築で、宿内でもっとも古式の町屋様式。 大和屋酒店、えび屋豆腐店 右手枡形の小路を下ったところが川原宿。
そのとっかかりが、三階建茶屋の角屋 角屋の前には東屋と「お滝」がある。
お滝はもともとは滝大明神の境内で欅の根元から清水が湧いていた。
欅の大木はもう枯れて根元だけとなっていて、そこから少量の水が流れ出していた。
坂を下ったところから宿場時代の面影のある川原宿を見上げた。 川魚料理の「竹廼家」で川原宿は終わり。ここで道は千曲川に突き当たる。
往時、千曲川渡りは徒歩渡し、舟渡し、橋渡しの三つがあった。明治時代には船をつないで板をかけた舟橋で渡ったという。舟をつないだ舟つなぎ石が川原にあるというのだが・・・見つけられなかった。
次回の「中山道歩き」はここから始める予定だから、さがしてみたい。
千曲川からの風景を見て今日の歩きを締めくくろうと、左折して千曲川に架かる中津橋へ。 橋の中ほどから、流れの向こうに広がる雄大な景色を楽しんだ。浅間山と上流側の八ヶ岳。
13時29分のバスに乗るべく、本陣前にあったバス停へと引き返した。
佐久平発の北陸新幹線で帰宅の途に付いた。
14回目の中山道歩き終了。
岩村田の駅に着いたのは10時30分。駅から昨夕切り上げた岩村田宿本町通りへと向かう。中山道は商店街の先にある相生町信号でほぼ直角に右折する。往時はここ、「下仁田街道分去れ」に常夜灯があったらしいが、今はこの標識が立っている。
中山道は→方向に進む。10:55
ここから今日の目的地、塩名田までは約5.6Km。
曲口(しゃぐち)神社の碑。
街道に背を向けて立っていた。ここから塩の道があったらしいが、詳細不明。そもそも塩の道は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道のことで、各地にあったらしいので、商業で成り立っていた岩村田にあっても不思議はない。
ここで皇女和の宮が野立てをおこなったとある。
傍らに在原業平の歌碑「其むかし業平あそむの尋ねけんおとこ女の松のちとせを」と
→塩名田4.3Kmという道標。
このあたりに平塚の一里塚があったらしいが位置は不明。
荘山(かがりやま)稲荷
黄金色に実った稲が美しい田園地帯を行く。家の前の田で除草作業をしていた婦人としばらく立ち話。
「もう少し先、左手に八ヶ岳の蓼科山が見えますよ」と教えてくださる。
百万遍供養塔 道より少し高い段上に、風化し苔むした多くの石仏石塔が集められたらしく並んでいる。家型や人型の石像はまるで埴輪の形だ。
広大な田園地帯、野辺には浅間山噴火の溶岩の上に建てられた大きな三基の石塔も見られる。
右手には浅間山、左手には八ヶ岳連峰(蓼科山は右端)を眺めながらの快適な歩き。
下塚原の先に見えてきたのは駒形神社
石碑の奥の石段をのぼり鳥居をくぐる。左奥にあった本殿は1486年再建の国重要文化財。祭神は騎乗の男女二神とのこと。鳥居にはなぜか魚、馬、熊が描かれていた。
駒形坂を下っていくとやがて、塩名田宿の江戸(東)口に至る。12:40
現在、宿の様子は新旧入り混じっているが昔を彷彿とさせる屋号看板が往時をしのばせる。
丸山善兵衛本陣跡・・・現在は食料品店「大井屋」看板の下に丸山善兵衛とある。
佐藤家住宅・・・1831年の建築で、宿内でもっとも古式の町屋様式。
そのとっかかりが、三階建茶屋の角屋
お滝はもともとは滝大明神の境内で欅の根元から清水が湧いていた。
欅の大木はもう枯れて根元だけとなっていて、そこから少量の水が流れ出していた。
坂を下ったところから宿場時代の面影のある川原宿を見上げた。
往時、千曲川渡りは徒歩渡し、舟渡し、橋渡しの三つがあった。明治時代には船をつないで板をかけた舟橋で渡ったという。舟をつないだ舟つなぎ石が川原にあるというのだが・・・見つけられなかった。
次回の「中山道歩き」はここから始める予定だから、さがしてみたい。
千曲川からの風景を見て今日の歩きを締めくくろうと、左折して千曲川に架かる中津橋へ。
13時29分のバスに乗るべく、本陣前にあったバス停へと引き返した。
佐久平発の北陸新幹線で帰宅の途に付いた。
14回目の中山道歩き終了。
by blue-robin2
| 2018-09-28 09:08
| 中山道
|
Comments(8)
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timata-sn at 2018-09-28 20:00
blue-robin2さん こんばんは
今日も良いお天気になって、陽射しが強かったですね。
岩村田から塩名田へとむけて歩かれたのですね。
青空の下気持ち良く歩を進められたようですね。
何時もの通り色々と詳しく載せられて居て素晴らしいですね。
良くこれだけの記録を残される中仙道の歩きだと
感心しながら読ませて戴きました。
有難う御座いました。
今日も良いお天気になって、陽射しが強かったですね。
岩村田から塩名田へとむけて歩かれたのですね。
青空の下気持ち良く歩を進められたようですね。
何時もの通り色々と詳しく載せられて居て素晴らしいですね。
良くこれだけの記録を残される中仙道の歩きだと
感心しながら読ませて戴きました。
有難う御座いました。
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blue-robin2 at 2018-09-28 23:19
timata-snさん こんばんは
3日目は今回の最終日でしたので約6キロほどの歩きです。
おもに田園の中を歩いたので長閑でいい気分でした。
ポイントと思えるところの写真を撮ってきているのでそれを頼りに記録を残しています。
つい長くなりますが何時も読んでいただきありがとうございます。
3日目は今回の最終日でしたので約6キロほどの歩きです。
おもに田園の中を歩いたので長閑でいい気分でした。
ポイントと思えるところの写真を撮ってきているのでそれを頼りに記録を残しています。
つい長くなりますが何時も読んでいただきありがとうございます。
なにかここへ来ると得した気分!中山道!多分歩くことが出来ない自分にはすごく得! ありがとうございます m(__)m
ゆっくりゆっくり読ませていただきました 感謝!
ゆっくりゆっくり読ませていただきました 感謝!
今回は軽井沢からだったのですね。
標高があるので避暑地には最適だったのでしょうね。
信濃路は広大で山に挟まれ景観のいい路のようで・・道祖神の数も多いようですね。
信州そばは召し上がりましたか。
それにしても、計画通りに日程をこなされて・・すごいなぁ~~
標高があるので避暑地には最適だったのでしょうね。
信濃路は広大で山に挟まれ景観のいい路のようで・・道祖神の数も多いようですね。
信州そばは召し上がりましたか。
それにしても、計画通りに日程をこなされて・・すごいなぁ~~
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koba222 at 2018-09-30 11:43
中山道14回目
頑張っていますね!
これだけ歩きができるということは
身体健康と健脚のなせることです。
素晴らしいです。
↓私も訪問したところで、懐かしく見せていただきました。
頑張っていますね!
これだけ歩きができるということは
身体健康と健脚のなせることです。
素晴らしいです。
↓私も訪問したところで、懐かしく見せていただきました。
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blue-robin2 at 2018-09-30 15:20
田舎の番人さん こんにちは
何時も読んでくださり、楽しんでくださってありがとうございます。もう少しポイントを絞って書けば読みやすいのだとは思いますが、何しろ街道歩きの記録ですので私にとってはどれもはずせなくてつい長くなります。
まだまだ旅は続けるつもりですのでまたみてください。
何時も読んでくださり、楽しんでくださってありがとうございます。もう少しポイントを絞って書けば読みやすいのだとは思いますが、何しろ街道歩きの記録ですので私にとってはどれもはずせなくてつい長くなります。
まだまだ旅は続けるつもりですのでまたみてください。
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blue-robin2 at 2018-09-30 15:33
白いねこさん こんにちは
本来なら、西から東へと順を追って歩けばいいのですが
日程上、また高低差を考えて歩きやすい方からということになり、信濃路はほぼ「お江戸の人」になって歩こうと思っています。一昨年に難所といわれる和田峠越えはすませていて、今回は軽井沢から佐久平へと長閑な景色を楽しめました。
信州そば、登山していたころに何度か味わいましたが
今回は地元の方お勧めの蕎麦屋さんがあいにく定休日で
食べることができませんでした。もうしばらくは信濃路ですので、次回は是非にと思っています。
本来なら、西から東へと順を追って歩けばいいのですが
日程上、また高低差を考えて歩きやすい方からということになり、信濃路はほぼ「お江戸の人」になって歩こうと思っています。一昨年に難所といわれる和田峠越えはすませていて、今回は軽井沢から佐久平へと長閑な景色を楽しめました。
信州そば、登山していたころに何度か味わいましたが
今回は地元の方お勧めの蕎麦屋さんがあいにく定休日で
食べることができませんでした。もうしばらくは信濃路ですので、次回は是非にと思っています。
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blue-robin2 at 2018-09-30 15:36
kobaさん こんにちは
目的地に向かってただただ距離をこなしていく歩き方もあるのでしょうが、それでは味気ないので出来るだけその土地の特徴を感じとりながら楽しんでいます。
懐古園、せっかく小諸を宿泊地と決めたのでよってきました。行った甲斐がありました。もう少し時間的余裕があれば、小諸の宿場(北国街道でしょうか?)の町並みも見たかったのですが・・・。
目的地に向かってただただ距離をこなしていく歩き方もあるのでしょうが、それでは味気ないので出来るだけその土地の特徴を感じとりながら楽しんでいます。
懐古園、せっかく小諸を宿泊地と決めたのでよってきました。行った甲斐がありました。もう少し時間的余裕があれば、小諸の宿場(北国街道でしょうか?)の町並みも見たかったのですが・・・。