2018年 04月 07日
中山道11回目 ②十三峠越え |
4月3日は
美濃路で一カ所残っていた大湫宿と大井宿を結ぶ難所といわれる十三峠越えをした。
途中、何回ものアップダウンを繰り返しながらの13キロ強。目的地の大井宿のある恵那市内を除けば山道をゆくことになる。
十三以上もあるという峠への道は登り、下りそれぞれに坂の名称がついている。それらを確認しながらこの長い山道を歩こうと思う。
大湫宿の東口に当たる寺坂にある宗昌寺を今回の出発点とする。 東へ向かう十三峠の出発点。(9:50) すぐに登りが始まる。登りきった辺りを「童子ヶ根」と言うらしくちいさな自然石にそう刻まれていた。その先「山の神坂」をくだる。 「しゃれこ坂」の先にある「尻冷し地蔵」は急病の際にこの山の湧き水で助かったという伊勢の豪商夫人が建立したという地蔵。300年の歳月ここに鎮座している。傍らにショウジョウバカマが優しく揺れていた。 「地蔵坂」を下れば、「三十三観音石窟」1840年の建立とかで中には33体の観音が祀られていた。その脇に阿波屋茶屋跡の石碑も見られた。 「びやいと坂」の標柱を右に見て登ると「巡礼水」がある。病になった巡礼の母娘が念仏を唱えると目の前の岩から湧きだしたと言う「お助け清水」。上方には馬頭観音が安置されている。女性の通行が多かったというこの街道だが病に倒れることも多かったようだ。 林の木々の間からゴルフ場が見える。街道をカート道が横切っているのも面白い。
「巡礼水の坂」を行くと、ほどなく権現山の一里塚につく(10:35) 石畳を残している「樫の木坂」「吾郎坂」と下る。
この山は水が豊富らしく細い流れが地をうるおしている。ショウジョウバカマやハルリンドウの鮮やかさが目を楽しませてくれる。 舗装路に出て間もなく「炭焼き立場跡」の掲示板。ここは眺望がよく旅人に親しまれたとあるが。今は数件の家並みがある程度でとくに眺望もなかった。
「鞍骨坂」「権現坂」(西からが下り)を過ぎると祠の中に石仏が祀られた「大久後観音堂」のある大久後集落だ。その先、街道右手に「灰くべ餅の出茶屋跡」という標識が立っている。炭火で焼いた餅が名物だったらしい。往時は街道あちこちに茶屋があって旅人の休憩につかわれていたんだなあなどちょっとうらやましい感じさえする。歩く旅人には嬉しいことだ。
ふたたび山中に入る。林の中の大岩に赤い帽子をかぶった石仏が立っている。緑の中で映えている。「観音坂の馬頭観音」とある。 広々と明るい道に飛び出す。振り返った長閑な風景に気持ちがほぐれ、ホッと一息 この先の平坦地を「茶屋が原」というらしく「大久後の向かい茶屋跡」の標識も見える。
左手に大きな中山道碑が見える。瑞浪市釜戸大久後と恵那市武並町藤との境に当たるようだ。 この先で道は未舗装の地道に入っていく。茶屋坂を登ると「ばばが茶屋跡の碑が立っている。
「みつじ坂、石畳を残す茶屋坂、西坂」へと進む。
広々した田園の真ん中あたりに「深萱立場跡」の大きな看板が見える。(11:45)大井と大湫の中間にあたる立場で、中山道はここで県道418を横切って進むことになる。歩きはじめて約2時間。ここで昼食とする。
昼食と休憩に30分とって、ウォーキング再開
まず目に入ったのは県道に沿った土手に建てられた「藤村高札場跡」 少し県道を進み藤大橋を渡る。
地道に入りしばらく行くと右手に「佐倉宗五郎大明神と」書かれた碑がある。千葉県佐倉藩の庄屋である。なぜここにとちょっと不思議な感じがしたが、年貢に苦しむ百姓のために直訴したために処刑された宗五郎がこの地でも崇められ祀られているということなのだろう 路傍にちょっと変わった名称、「黒すくも坂」と刻まれた自然石も見える。どんないわれがあるんだろう~~すくもは藍染め染料となるが藍の栽培でもしていたのだろうか。
明るい枝垂れ桜が見えてきた。紅坂橋を渡ると先は石畳道の登りになる。 紅坂を上っていくと「ぼたん岩」とある。いったいどこにと思ったが、実は足元の岩をそう呼ぶらしい。花崗岩が牡丹の花弁の様になっているのだが学術的にはオニオンクラックと言われるものらしい。石畳の登りが続く。 目の前に紅坂の一里塚が見えてくる。山中ということが幸いしてここもまた両塚を残している。(12:50) 道は「平六坂」に差し掛かる。びやいと茶屋跡、平六茶屋跡などがある。「びやいと」というのが気になっていたが枇杷の葉に薬草を加えて煎じた「枇杷湯糖」を名物としていたようだ。
かくれ神坂を登ると杜の中に「妻の神」という標識が見える。村へ悪霊が入るのを防いでいるといったものらしい? 竹折村高札場跡、四ツ谷休憩所など長閑な街道歩きのあと、みじかいが急な坂、乱れ坂を登る。あまりの急坂に大名行列も乱れたと言い伝えられている。 首なし地蔵 そのいわれは、中間が地蔵前で昼寝をしていたが目を覚ますと、一緒にいた友の首がない。怒った中間は「なかまが襲われたのに黙って見ているとは何事ぞ」といって地蔵の首を切り落としてしまった。のだそうな。 その隣の高台に姫御殿後があった。和の宮の休憩所とのこと。乱れ坂で和の宮も難儀され疲れたに違いない。 槇ヶ根追分(13:40)下街道との追分 広場には伊勢神宮遥拝所跡や、槇ヶ根立場跡の解説板が立っていた。幕末には、この先の槇ヶ根一里塚にかけ、槇本屋、水戸屋、東国屋など9軒もの茶屋があり、餅、草履、お六櫛などを商っていたとある。下街道との追分でもあり、にぎわっていたであろうとうかがえる。
ここから一里塚にかけての尾根道は明るく遠望が利いて快適。桜が美しい。 槇ヶ根一里塚(14:03)こちらも左右とも当時のまま残っている。 道は西行塚へと下っていく。先の桜と合わせこんなところにも西行の足跡がある。 十三峠の東口到着(14:25)碑を覆うようなヤマザクラが美しい。
これで十三峠越えは終わった。中央自動車道をくぐり中央線を渡って恵那市街へ入っていく。
途中にあった喫茶、水戸屋でコーヒーとケーキを注文。ゆったりと一息つく。
コーヒーもおいしかったがこんな時には何よりも水を「うまい!」と感じる。
ここから大井宿まではまだ3キロ近くある。途中。西行が墨を磨るのに使ったという西行硯水跡や、中野観音堂にも立ち寄り、恵那駅前までのんびり歩いた(15:40)
本日の歩行距離 約13キロ、歩数24933歩 所要時間 6時間弱
3日目はおまけということで、中山道をはずれ、中津川にある苗木城跡を予定。
美濃路で一カ所残っていた大湫宿と大井宿を結ぶ難所といわれる十三峠越えをした。
途中、何回ものアップダウンを繰り返しながらの13キロ強。目的地の大井宿のある恵那市内を除けば山道をゆくことになる。
十三以上もあるという峠への道は登り、下りそれぞれに坂の名称がついている。それらを確認しながらこの長い山道を歩こうと思う。
大湫宿の東口に当たる寺坂にある宗昌寺を今回の出発点とする。
「巡礼水の坂」を行くと、ほどなく権現山の一里塚につく(10:35)
この山は水が豊富らしく細い流れが地をうるおしている。ショウジョウバカマやハルリンドウの鮮やかさが目を楽しませてくれる。
「鞍骨坂」「権現坂」(西からが下り)を過ぎると祠の中に石仏が祀られた「大久後観音堂」のある大久後集落だ。その先、街道右手に「灰くべ餅の出茶屋跡」という標識が立っている。炭火で焼いた餅が名物だったらしい。往時は街道あちこちに茶屋があって旅人の休憩につかわれていたんだなあなどちょっとうらやましい感じさえする。歩く旅人には嬉しいことだ。
ふたたび山中に入る。林の中の大岩に赤い帽子をかぶった石仏が立っている。緑の中で映えている。「観音坂の馬頭観音」とある。
左手に大きな中山道碑が見える。瑞浪市釜戸大久後と恵那市武並町藤との境に当たるようだ。
「みつじ坂、石畳を残す茶屋坂、西坂」へと進む。
広々した田園の真ん中あたりに「深萱立場跡」の大きな看板が見える。(11:45)大井と大湫の中間にあたる立場で、中山道はここで県道418を横切って進むことになる。歩きはじめて約2時間。ここで昼食とする。
まず目に入ったのは県道に沿った土手に建てられた「藤村高札場跡」
地道に入りしばらく行くと右手に「佐倉宗五郎大明神と」書かれた碑がある。千葉県佐倉藩の庄屋である。なぜここにとちょっと不思議な感じがしたが、年貢に苦しむ百姓のために直訴したために処刑された宗五郎がこの地でも崇められ祀られているということなのだろう
明るい枝垂れ桜が見えてきた。紅坂橋を渡ると先は石畳道の登りになる。
かくれ神坂を登ると杜の中に「妻の神」という標識が見える。村へ悪霊が入るのを防いでいるといったものらしい?
ここから一里塚にかけての尾根道は明るく遠望が利いて快適。桜が美しい。
これで十三峠越えは終わった。中央自動車道をくぐり中央線を渡って恵那市街へ入っていく。
途中にあった喫茶、水戸屋でコーヒーとケーキを注文。ゆったりと一息つく。
コーヒーもおいしかったがこんな時には何よりも水を「うまい!」と感じる。
ここから大井宿まではまだ3キロ近くある。途中。西行が墨を磨るのに使ったという西行硯水跡や、中野観音堂にも立ち寄り、恵那駅前までのんびり歩いた(15:40)
3日目はおまけということで、中山道をはずれ、中津川にある苗木城跡を予定。
by blue-robin2
| 2018-04-07 17:47
| 中山道
|
Comments(2)
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by
timata-sn at 2018-04-07 20:00
blue-robin2さん こんばんは
今朝は曇り空でした、風が強くて小雨が降り不安定でした。
大鍬宿から大井宿へと歩かれたのですね。
中仙道の難所の十三峠を越えて歩かれたのですね。
石畳の道は歩き辛いでしょうね。
ショウジョウバカマやハルリンドウの花を見るとほっと一息された
事でしょうね!!
13Km24933歩凄いですね!!お疲れ様でした!!
今朝は曇り空でした、風が強くて小雨が降り不安定でした。
大鍬宿から大井宿へと歩かれたのですね。
中仙道の難所の十三峠を越えて歩かれたのですね。
石畳の道は歩き辛いでしょうね。
ショウジョウバカマやハルリンドウの花を見るとほっと一息された
事でしょうね!!
13Km24933歩凄いですね!!お疲れ様でした!!
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by
blue-robin2 at 2018-04-07 23:08
timata-snさん こんばんは
木曽路の中では一番の難所と言われていますが、思ったほどではありませんでした。登り降りの多い道とはいえ、標高の高い大湫から標高の低い大井へ向かったので逆コースに比べれば楽だったということかもしれません。
前後の街道は昨秋歩いたのですが、時間がかかりそうだったので日の短い秋よりも春がいいだろうとこの区間を残していました。
木曽路の中では一番の難所と言われていますが、思ったほどではありませんでした。登り降りの多い道とはいえ、標高の高い大湫から標高の低い大井へ向かったので逆コースに比べれば楽だったということかもしれません。
前後の街道は昨秋歩いたのですが、時間がかかりそうだったので日の短い秋よりも春がいいだろうとこの区間を残していました。