2016年 03月 27日
中山道3回目、野洲から豊郷へ (その1) |
前回の続きを歩こうと、野洲駅で下車、朝鮮人街道を分岐点まで引き返し、中山道を1日目は武佐宿まで。二日目は武佐から愛知川宿を超え、豊郷まで歩を進めることにした。全行程27キロ程だが、立ち寄りも含め12時間かける予定。
1日目 野洲から武佐宿本陣まで(3月22日)
道はおおむね国道8号に沿っている。国道に合流するところでは車に要注意だ。
朝鮮人街道との分岐点からしばらく行くと野洲小学校の前にある道標を通り過ぎる。少し先の三叉路に朝鮮人街道との追分の地名が小篠原字外和木であったことを示す「外和木の標」の解説版がある。中山道は三叉路を右にとる。
☆創業慶長元年の銘酒「暁」の蔵元
境内に大イチョウがそびえる養専寺、稲荷神社、中央池地蔵尊、藍染めの紺九といった旧街道らしい落ち着いた道を行く。やがて東海道新幹線が近くを走るようになる辺り、桜生地域は新幹線工事中に多数の銅鐸が出たということで「銅鐸の里」ともいうらしい。
☆桜生史跡公園の甲山古墳
6世紀前半の円墳で、直径が30m、高さ10mほど。横穴式石室を覗くと、内部がライトアップされ、熊本県宇土半島産出の凝灰岩をくりぬいたという家形石棺が見えた。発掘により、金糸を含む装身具、武具や馬具がでたという。
やがて野洲から甲賀郡に出る辻であったことから辻村と呼ばれた地域を通る。
篠原神社を過ぎ、家棟川を渡ると常夜灯と山灯籠が並んで立つポケットパーク。
ポケットパークから1キロほど歩くと右手に二つの池が並ぶ篠原堤がある。このあたりは一面の野原で物騒なところだったようだが、今は静かな湖面がひろがって長閑な感じがする。
ここでランチタイム
一帯を大篠原村といい、江戸時代には立場があったらしい。近くに鏡餅の発祥地といわれる大笹原神社があるらしいが街道には社標が立っているにすぎなかった。
☆平家終焉の地
大篠原の山地に源を持つという善光寺川を渡ると右手に、蛙不鳴池と平宗盛、清宗 親子の胴塚がある。壇ノ浦で敗れ義経に捕えられた親子はこの地で斬首、首は京へ送られ、胴がこの地に葬られたという。蛙不鳴池には、その首を洗ったのでカエルも鳴かなくなったという言い伝えがある。
☆義経元服の地
平家終焉の地から500メートルほど先に義経元服の池があるというのも皮肉な巡り合わせか・・・時代はさかのぼり、平家の追手が稚児姿の義経を探していると聞きこの地での元服を決意、鏡池の石清水を使って前髪を落としたという。元服した義経は松の枝に烏帽子をかけ鏡神社へ参拝、源氏の再興を祈願したと言われている。近くには義経宿泊の館跡の碑も立っていた。
鏡神社周辺は旧鏡村。中世東山道時代の宿駅。武佐と守山の間が三里半と長いために間の宿としてにぎわったという。本陣跡や旅籠跡など丁寧な説明板が立てられていた。
☆右には青々と麦畑が広がる。
ふたたび善光川を渡ると蒲生郡竜王町西横関。[是よりいせみち、ミなくち道」と彫られた東海道水口から伊勢に至ることを記した道標をみてしばらく野道に入る。やがて、広重の浮世絵に描かれた横関川の渡し場があるはずだが…今は灌木が生い茂り近づけないので国道8号の横関橋を渡ることになる。下を流れるのが横関川(現在の日野川)ちょうど蛇行するあたり、浅瀬になってるあたりに渡しがあったに違いないと想像する。
渡るとすぐに左に曲がり、川沿いの土手をあるく。江戸方面からの渡し場跡で広重の浮世絵と説明板を確認。今は竹やぶに覆われたあたりにわずかに水面が見える程度。
新幹線を左に見ながら広々した田園を行く。5分とあけず頻繁に新幹線が通り過ぎていく。
ここは東横関。もう近江八幡市に入っている。
☆八幡社
源義家が病の愛馬に水を飲ませるとたちまち平癒したので応神天皇の霊を勧請し武運長久を祈願したという言い伝えがあり馬淵(真渕)という地名の由来ともなっている。
☆住蓮坊首洗い池と住蓮坊、安楽坊の墓
寵愛していた女官が法然の弟子であった二人に帰依し髪をおろし尼になったことに怒った後鳥羽上皇の命により死罪となった。この一件で法然や親鸞も流罪となったということだ。
☆武佐宿にはいる。(15:30)
街道奥に高くそびえる楠は伊庭貞剛邸跡
尊王攘夷に奔走、のちに住友財閥に入社し、住友家中興の祖と言われた伊庭貞剛の誕生地でもある。現在、邸宅は取り除かれ「いばECOひろば」となっている。
近江鉄道の踏切を渡り武佐駅を右に見て今日の終点、本陣へ。
☆武佐宿西見付け後にある愛宕山常夜灯
☆武佐本陣跡…16時着
≪メモ≫
★今回よく見かけたこれは?
岩の上部の穴にお札が納められた愛宕山の碑・・・火災よけの信仰によるようだ。
★変わった読みの地名「桜生」・・・さくらばさま
★この日出あった街道をゆく人・・・同年輩の安土の男性。この方はほぼ同じようなペースで歩いてられた。もう一人、武佐駅で近江八幡への電車待ちで出会った50前後の方は日本橋からつないで一日40キロずつと決めひたすら歩くに徹してられるとかで、あすは大津まで行く予定だとか・・・。スゴイ健脚だ!
★本日の歩行・・・街道のみで、約26000歩
1回目、三条大橋から大津までは歩数計を忘れ、なん歩だったか不明。
2回目は一日中の歩行を記録したが、
今回からは街道のみの歩数を記録
1日目 野洲から武佐宿本陣まで(3月22日)
道はおおむね国道8号に沿っている。国道に合流するところでは車に要注意だ。
朝鮮人街道との分岐点からしばらく行くと野洲小学校の前にある道標を通り過ぎる。少し先の三叉路に朝鮮人街道との追分の地名が小篠原字外和木であったことを示す「外和木の標」の解説版がある。中山道は三叉路を右にとる。
☆創業慶長元年の銘酒「暁」の蔵元
境内に大イチョウがそびえる養専寺、稲荷神社、中央池地蔵尊、藍染めの紺九といった旧街道らしい落ち着いた道を行く。やがて東海道新幹線が近くを走るようになる辺り、桜生地域は新幹線工事中に多数の銅鐸が出たということで「銅鐸の里」ともいうらしい。
☆桜生史跡公園の甲山古墳
6世紀前半の円墳で、直径が30m、高さ10mほど。横穴式石室を覗くと、内部がライトアップされ、熊本県宇土半島産出の凝灰岩をくりぬいたという家形石棺が見えた。発掘により、金糸を含む装身具、武具や馬具がでたという。
やがて野洲から甲賀郡に出る辻であったことから辻村と呼ばれた地域を通る。
篠原神社を過ぎ、家棟川を渡ると常夜灯と山灯籠が並んで立つポケットパーク。
ポケットパークから1キロほど歩くと右手に二つの池が並ぶ篠原堤がある。このあたりは一面の野原で物騒なところだったようだが、今は静かな湖面がひろがって長閑な感じがする。
ここでランチタイム
一帯を大篠原村といい、江戸時代には立場があったらしい。近くに鏡餅の発祥地といわれる大笹原神社があるらしいが街道には社標が立っているにすぎなかった。
☆平家終焉の地
大篠原の山地に源を持つという善光寺川を渡ると右手に、蛙不鳴池と平宗盛、清宗 親子の胴塚がある。壇ノ浦で敗れ義経に捕えられた親子はこの地で斬首、首は京へ送られ、胴がこの地に葬られたという。蛙不鳴池には、その首を洗ったのでカエルも鳴かなくなったという言い伝えがある。
☆義経元服の地
平家終焉の地から500メートルほど先に義経元服の池があるというのも皮肉な巡り合わせか・・・時代はさかのぼり、平家の追手が稚児姿の義経を探していると聞きこの地での元服を決意、鏡池の石清水を使って前髪を落としたという。元服した義経は松の枝に烏帽子をかけ鏡神社へ参拝、源氏の再興を祈願したと言われている。近くには義経宿泊の館跡の碑も立っていた。
鏡神社周辺は旧鏡村。中世東山道時代の宿駅。武佐と守山の間が三里半と長いために間の宿としてにぎわったという。本陣跡や旅籠跡など丁寧な説明板が立てられていた。
☆右には青々と麦畑が広がる。
ふたたび善光川を渡ると蒲生郡竜王町西横関。[是よりいせみち、ミなくち道」と彫られた東海道水口から伊勢に至ることを記した道標をみてしばらく野道に入る。やがて、広重の浮世絵に描かれた横関川の渡し場があるはずだが…今は灌木が生い茂り近づけないので国道8号の横関橋を渡ることになる。下を流れるのが横関川(現在の日野川)ちょうど蛇行するあたり、浅瀬になってるあたりに渡しがあったに違いないと想像する。
渡るとすぐに左に曲がり、川沿いの土手をあるく。江戸方面からの渡し場跡で広重の浮世絵と説明板を確認。今は竹やぶに覆われたあたりにわずかに水面が見える程度。
新幹線を左に見ながら広々した田園を行く。5分とあけず頻繁に新幹線が通り過ぎていく。
☆八幡社
源義家が病の愛馬に水を飲ませるとたちまち平癒したので応神天皇の霊を勧請し武運長久を祈願したという言い伝えがあり馬淵(真渕)という地名の由来ともなっている。
☆住蓮坊首洗い池と住蓮坊、安楽坊の墓
寵愛していた女官が法然の弟子であった二人に帰依し髪をおろし尼になったことに怒った後鳥羽上皇の命により死罪となった。この一件で法然や親鸞も流罪となったということだ。
☆武佐宿にはいる。(15:30)
街道奥に高くそびえる楠は伊庭貞剛邸跡
☆武佐宿西見付け後にある愛宕山常夜灯
☆武佐本陣跡…16時着
≪メモ≫
★今回よく見かけたこれは?
岩の上部の穴にお札が納められた愛宕山の碑・・・火災よけの信仰によるようだ。
★変わった読みの地名「桜生」・・・さくらばさま
★この日出あった街道をゆく人・・・同年輩の安土の男性。この方はほぼ同じようなペースで歩いてられた。もう一人、武佐駅で近江八幡への電車待ちで出会った50前後の方は日本橋からつないで一日40キロずつと決めひたすら歩くに徹してられるとかで、あすは大津まで行く予定だとか・・・。スゴイ健脚だ!
★本日の歩行・・・街道のみで、約26000歩
1回目、三条大橋から大津までは歩数計を忘れ、なん歩だったか不明。
2回目は一日中の歩行を記録したが、
今回からは街道のみの歩数を記録
by blue-robin2
| 2016-03-27 00:57
| 中山道
|
Comments(8)
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by
koba222 at 2016-03-27 14:32
中山道紀行すごいですね。
1日25000歩、健脚に拍手です。
歴史探訪が充実してますね。
じっくりと足で確かめながら
見て学び記録に残して素晴らしい紀行です。
数日歩き続けられるのでしょうか?
頑張ってください。
1日25000歩、健脚に拍手です。
歴史探訪が充実してますね。
じっくりと足で確かめながら
見て学び記録に残して素晴らしい紀行です。
数日歩き続けられるのでしょうか?
頑張ってください。
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blue-robin2 at 2016-03-27 14:40
kobaさん こんにちは
もう少し若い時代に思いついていれば一日20㎞は歩けたでしょうが、写真を撮ったり、立ち話したり、お店に寄ったりと、時間をかけた年齢に見合った歩き方ってあるように思っています。今のところ一泊二日です。回を重ねると結構現地までの交通費など嵩みますが、まあ、体力に合わせた無理のない範囲で楽しみたいと思ってます。
もう少し若い時代に思いついていれば一日20㎞は歩けたでしょうが、写真を撮ったり、立ち話したり、お店に寄ったりと、時間をかけた年齢に見合った歩き方ってあるように思っています。今のところ一泊二日です。回を重ねると結構現地までの交通費など嵩みますが、まあ、体力に合わせた無理のない範囲で楽しみたいと思ってます。
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nonkonogoro at 2016-03-27 18:51
お写真を拝見していると
昔ながらの風景が残っている所も
結構あるのですね。
1日40km~Ψ( ̄∇ ̄)Ψ すごいですねえ。
景色見る暇ないかも(笑)
たしかに
お江戸に近づく程に
現地までの交通費はかさんでいきますよね~
昔ながらの風景が残っている所も
結構あるのですね。
1日40km~Ψ( ̄∇ ̄)Ψ すごいですねえ。
景色見る暇ないかも(笑)
たしかに
お江戸に近づく程に
現地までの交通費はかさんでいきますよね~
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timata-sn at 2016-03-27 22:05
blue-
robin2さん こんばんは
今日は良いお天気でした、風が強かったですよ。
何時も有難う御座います。
またまた歩かれたのですね。
野洲駅から武佐宿本陣のまで歩かれたのですね。
中々の健脚の様ですね!!
色んな所へ立ち寄られて、素晴らしいですね!!
robin2さん こんばんは
今日は良いお天気でした、風が強かったですよ。
何時も有難う御座います。
またまた歩かれたのですね。
野洲駅から武佐宿本陣のまで歩かれたのですね。
中々の健脚の様ですね!!
色んな所へ立ち寄られて、素晴らしいですね!!
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blue-robin2 at 2016-03-28 10:03
nonさん こんにちは
街道沿いには旧家など結構残っています。歩いているとその土地の特徴なども感じられ面白いです。
出あった方は50前後だと思いますが、歩く目的も人によって違っていてよく、その方は五街道踏破を目指していて今回は4つ目。「あるき」に絞ってるんだと言われていました。やり遂げた達成感に目的を置いてられるようです。
その通りで、お江戸に近づくにつれ、現地までにお金もそうですが時間もかかりきっと2泊以上しないと進めない気がします。
街道沿いには旧家など結構残っています。歩いているとその土地の特徴なども感じられ面白いです。
出あった方は50前後だと思いますが、歩く目的も人によって違っていてよく、その方は五街道踏破を目指していて今回は4つ目。「あるき」に絞ってるんだと言われていました。やり遂げた達成感に目的を置いてられるようです。
その通りで、お江戸に近づくにつれ、現地までにお金もそうですが時間もかかりきっと2泊以上しないと進めない気がします。
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blue-robin2 at 2016-03-28 10:20
timata-snさん こんにちは
三寒四温とはよくいったもので気温も安定しませんね。
温泉にもグルメ巡りにもあまり興味がないので、やはり、[歩く旅]ということになります。若いころは北アルプスなど上へ上へと登ってましたが、最近は平地を遠くへ遠くへという風に年齢にあわせて楽しみ方を変えてます。まあ、いっとき楽しんだ海外も今は危険すぎて行く気になりませんしね。
今のところ、足腰がなんとか維持できてるというのがうれしいです。
三寒四温とはよくいったもので気温も安定しませんね。
温泉にもグルメ巡りにもあまり興味がないので、やはり、[歩く旅]ということになります。若いころは北アルプスなど上へ上へと登ってましたが、最近は平地を遠くへ遠くへという風に年齢にあわせて楽しみ方を変えてます。まあ、いっとき楽しんだ海外も今は危険すぎて行く気になりませんしね。
今のところ、足腰がなんとか維持できてるというのがうれしいです。
まるで紀行文の本を読んでるみたいです! いやあ 面白いですね~ ゆっくり拝見させていただきました なかなか自分では経験出来ませんから・・<(_ _)>
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blue-robin2 at 2016-03-28 17:51
田舎の番人さん こんにちは
丁寧に読んでいただきありがとうございます。
健脚の方に比べれば、亀さんの様な歩みですが、その変わり、街道沿いの様々なことをゆっくり楽しみながら歩いています。
丁寧に読んでいただきありがとうございます。
健脚の方に比べれば、亀さんの様な歩みですが、その変わり、街道沿いの様々なことをゆっくり楽しみながら歩いています。