2012年 08月 25日
布のちから |
8月25日
趣味の手織りをやりながら同時に読んだのが田中優子著、「布のちから」
日本近代文化、特に「江戸」に通じておられる著者が深い愛着を持つ「布」について語った中身の濃い布文化論と言える一冊であった。
内容は論考、エッセイ、紀行を一冊にまとめたもので
「メディアとしての布」「布が意味するもの」「織るということ・・・日本の織物紀行」という構成。
布はかつて「自然と、あるいは神と人間を媒介するメディア」であり、またガンディーやモリスにとっては反近代、反産業革命という思想を示すシンボルであった。との第一章は「人と布のかかわり」の歴史を物語るにふさわしい導入だった。
様々な視点から「布のちから」に迫って行くエッセイは読み進むうちにそれの持つ豊かさに改めて気付かされ、興味深く読むことができる。布の持つ呪術力、織るということの意味、布に現れた生命樹、袋、包む、巻く、結ぶ・・・等々。私が特に興味深かったのは「襤褸」であり、野良着として最後まで人の生活の中に大切に重宝された布についてのくだりであった。
専門である「江戸」の文化、特に浮世絵春画に見られる布の襞が演出するエロティシズムや、一葉のたけくらべに出てくる情熱とともに置き去りにされた布の断片「紅色縮緬の端切れ」などまさに著者の本領発揮の語り口であった。
とくに熟読し、考えさせられたのは~「手」しごとの光と影~である。
そこでは手仕事とは、身体の仕事であること、自然の偶然性に身をゆだねる仕事であること、自然と一人の人間とのかかわりによってあらゆるものを生み出せる仕事、と定義し
柳宗悦の手仕事の美についての引用もまじえて語られるのだが、内容の奥に、その影の部分として、生活に自然をとりこんできた手仕事を駆遂した現代の価値観に対する嘆きが含まれているのには、普段から、今やぜいたく品となっている手仕事の現状に疑問を感じている私としては大いに共感をおぼえた。
趣味の手織りをやりながら同時に読んだのが田中優子著、「布のちから」
日本近代文化、特に「江戸」に通じておられる著者が深い愛着を持つ「布」について語った中身の濃い布文化論と言える一冊であった。
内容は論考、エッセイ、紀行を一冊にまとめたもので
「メディアとしての布」「布が意味するもの」「織るということ・・・日本の織物紀行」という構成。
布はかつて「自然と、あるいは神と人間を媒介するメディア」であり、またガンディーやモリスにとっては反近代、反産業革命という思想を示すシンボルであった。との第一章は「人と布のかかわり」の歴史を物語るにふさわしい導入だった。
様々な視点から「布のちから」に迫って行くエッセイは読み進むうちにそれの持つ豊かさに改めて気付かされ、興味深く読むことができる。布の持つ呪術力、織るということの意味、布に現れた生命樹、袋、包む、巻く、結ぶ・・・等々。私が特に興味深かったのは「襤褸」であり、野良着として最後まで人の生活の中に大切に重宝された布についてのくだりであった。
専門である「江戸」の文化、特に浮世絵春画に見られる布の襞が演出するエロティシズムや、一葉のたけくらべに出てくる情熱とともに置き去りにされた布の断片「紅色縮緬の端切れ」などまさに著者の本領発揮の語り口であった。
とくに熟読し、考えさせられたのは~「手」しごとの光と影~である。
そこでは手仕事とは、身体の仕事であること、自然の偶然性に身をゆだねる仕事であること、自然と一人の人間とのかかわりによってあらゆるものを生み出せる仕事、と定義し
柳宗悦の手仕事の美についての引用もまじえて語られるのだが、内容の奥に、その影の部分として、生活に自然をとりこんできた手仕事を駆遂した現代の価値観に対する嘆きが含まれているのには、普段から、今やぜいたく品となっている手仕事の現状に疑問を感じている私としては大いに共感をおぼえた。
by blue-robin2
| 2012-08-25 11:42
| 本
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