2017年 05月 31日
5月の読書 |
●「アルトゥーロの島」 エルサ・モランテ
ぼくという一人称で語られる少年の成長を見つめた作品。
島で一人、父の帰りを待つ少年アルトゥーロ。敬愛する留守がちの父は彼が理想化した大きな存在。
突然同居することになった同年代の若い継母とのかかわり、父との親子関係、それらを通して成長していく姿を追っている。
嫌悪と、恋心と、嫉妬と、あがきと、失望、外の世界への憧れ、少年から大人への成長過程で揺れ動く少年の姿をみずみずしく描きだしている。
●「モンテフェルモの丘の家」 ナタリア・ギンスブルグ
書簡によって構成された物語。
モンテフェルモの丘の家に集った仲間たち相互の手紙によって構成されている。その手紙の内容から互いの人間関係、人物像が浮かび上がってくる。
丘の家の持ち主夫妻は寛容なピエロとちょっと自己中心とも言える妻ルクレツィア。
そして、主人公はルクレツィアのかつての恋人でもあったジョゼッぺ。彼らを中心にジョゼッぺの兄のフェルッチョ、ジョゼッぺの息子アルベリーコ(同性愛者)、面倒みのいい従姉妹のロベルタ、そのほか数人の友人たちとルクレツィアの新恋人・・・・
何とも複雑な人間関係でありながら、時には身勝手さも見せながら、それでいて人の良さとほろ苦さがにじみ出たイタリアならではと思える物語が手紙の中からうかびあがる。
●「不穏の書」 フェルナンド・ペソア
・・・読書中・・・
ペソアと彼の異名者(カエイロ、カンポス)の詩、断章と、ペソアの数ある異名者の中で、最もペソア自身に近いと言われているベルナンド・ソアレス著の「不穏の書」。
完読といえる類には入らない本である。だから何時だって読書中・・・内容はなるほどと納得できる部分あり、解釈に戸惑うところありで、時々開いて、味わって読みかえしたい本。それゆえ、布でカバーをつけて気が向いた時覗くことにした。
たとえば、断章より
●ふりをすることは自分を知ることだ
●芸術において重要なことは表現すること。表現されたもの自体はつまらぬものだ。
●誠実さは芸術家が克服すべき大きな障害のひとつである。
初めての一冊ではまだ入り口にも達していまい。固有的人格、経歴、思想を持った異名者の存在という独自性にすら戸惑っている。
ぼくという一人称で語られる少年の成長を見つめた作品。
島で一人、父の帰りを待つ少年アルトゥーロ。敬愛する留守がちの父は彼が理想化した大きな存在。
突然同居することになった同年代の若い継母とのかかわり、父との親子関係、それらを通して成長していく姿を追っている。
嫌悪と、恋心と、嫉妬と、あがきと、失望、外の世界への憧れ、少年から大人への成長過程で揺れ動く少年の姿をみずみずしく描きだしている。
●「モンテフェルモの丘の家」 ナタリア・ギンスブルグ
書簡によって構成された物語。
モンテフェルモの丘の家に集った仲間たち相互の手紙によって構成されている。その手紙の内容から互いの人間関係、人物像が浮かび上がってくる。
丘の家の持ち主夫妻は寛容なピエロとちょっと自己中心とも言える妻ルクレツィア。
そして、主人公はルクレツィアのかつての恋人でもあったジョゼッぺ。彼らを中心にジョゼッぺの兄のフェルッチョ、ジョゼッぺの息子アルベリーコ(同性愛者)、面倒みのいい従姉妹のロベルタ、そのほか数人の友人たちとルクレツィアの新恋人・・・・
何とも複雑な人間関係でありながら、時には身勝手さも見せながら、それでいて人の良さとほろ苦さがにじみ出たイタリアならではと思える物語が手紙の中からうかびあがる。
●「不穏の書」 フェルナンド・ペソア
・・・読書中・・・
ペソアと彼の異名者(カエイロ、カンポス)の詩、断章と、ペソアの数ある異名者の中で、最もペソア自身に近いと言われているベルナンド・ソアレス著の「不穏の書」。
完読といえる類には入らない本である。だから何時だって読書中・・・内容はなるほどと納得できる部分あり、解釈に戸惑うところありで、時々開いて、味わって読みかえしたい本。それゆえ、布でカバーをつけて気が向いた時覗くことにした。
たとえば、断章より
●ふりをすることは自分を知ることだ
●芸術において重要なことは表現すること。表現されたもの自体はつまらぬものだ。
●誠実さは芸術家が克服すべき大きな障害のひとつである。
初めての一冊ではまだ入り口にも達していまい。固有的人格、経歴、思想を持った異名者の存在という独自性にすら戸惑っている。
by blue-robin2
| 2017-05-31 08:30
| 本